
眠いときの自分ってけっこうおもしろくっておっかしい。眠りの底に落ちる直前くらいに妙なアイデアが浮かんだりして「あ〜こんなのをこうやって作ろう・・・」というかんじで意識を失い、明朝、ぴょこっと起き上がってさっそく試すようなこともけっこうある。なにか困ったことがあったりするときも、このパターンで妙な形に展開してしまうことも多い。しかも、たいていは可笑しい。困った状態が笑いに展開する様はなんともいえない清清しさ。
久しぶりに坂口安吾の文庫なぞ引っぱり出して、「FARCEに就て」のあたりをパラパラ眺めたりして、出鱈目とか、荒唐無稽とか、道化とか、こういう言葉と並んで「肯定」という言葉が出てくるのがおもしろいんだよなあなんて感心したりして。何度も眺めている文章でも、あいかわらずよくわからない、それでもおもしろいのがまた可笑しい。

唐桟ってなに?と思ってちょっと調べてみたら、なんだかいろいろでてきて感心してしまった。西インドの東岸にあるセント・トーマス島(サントメ)より渡ってきたのでこの名前があると云われているとのこと。日本には安土桃山時代(16世紀末)にオランダ船でもたらされたのが最初だといわれているらしい。こういう、もとの言葉の音が変化してできた言葉というのは、言葉遊び好きとしてはたまりません。


新作。こうして並べると、けっこう微妙にいろんな顔。そう、江古田にあります手作り雑貨のミユル堂、四月から渋谷の松涛あたりにあるブックショップ「万力のある家」(目黒区・道玄坂上奥、渋谷駅から徒歩15分)というところに出張所ができるとのこと。こちらのお店もまたちょっとおもしろそうなので、そのうち偵察に行く予定。お近くの方は、ぜひぜひ。
袴と稽古着を作った残りの木綿で、手甲をつくってみる。リバーシブルにしてみたのだが、出る面によってなんとなく感じが違っておもしろい。お裁縫その他の手作業や、パソコン時など、手先の無駄な力が抜けやすく、ほっとするかんじがなんともいえない。まる1日使っていると改良点もいくつか発見、また作ろっかな。
「黒衣」と書いて「くろご」と読むのが歌舞伎に出てくる後見の黒い人(蝶々とかを持って動かしている人)のこと、とのこと。なんだかこの「黒衣」の字を見て、マクベスか何かに出てくるセリフではないかと思われるものを思い出したのだが、だいぶあやふや。「ないはある、あるはない」ってなんだったっけかなあ。。。そもそも頭巾に始まったこの流れ。そう、そしてふと思い出したのが昔話であった「聞き耳頭巾」、これを被ると鳥の鳴き声が人の声に聞こえるというもの。最近のうちのベランダは、スズメとヒヨドリがよくいらっしゃっていて、意地悪ヒヨドリはまあおいといて、スズメはこれから子育てシーズンなのでお楽しみです。聞き耳頭巾があればなあ。。。
両親が谷中のお墓へ行った帰りに上野公園の桜の按配を観に行ったのですが、先に帰ってきたオーナー(父)から、お土産の小さな鯛焼きと共に、ながいながい土産話をいただく。一旦上野まで着いて、伯母のうちへ行く母と分かれた後、どうしても気になる木があって、再び駅を離れて公園の方へ向かったとのこと。お花見客のコートがかかっていて名前の札が見えなかったとのことで、その木の花がウチにある「陽紅」という名前の桜に似ている気がして、ひと声かけてコートをめくって見せてもらおうかと思ったのだが、母に止められたとのこと。でもやっぱり気になるので、もう一度ひとりで行って見てこようと思ったのだそうな。で、公園の方へ行く横断歩道で信号待ちをしていたら、渡る先で古本市をやっているのを発見、上野を出た後は神保町へ行こうと思っていた父は、いそいそと古本市の会場へ。そこで、以前からずっと見てみたいと思っていたシリーズものの図鑑のような本の7巻だか8巻だかをちょうど発見、しかも安い、会場をぐるっと見てまわったら同じ本が2冊あったので、きれいな方を購入。外に出るともう日が暮れつつある、急いで気になる木のところへ行くと、宴会は未だ続いていたのだが、夕方になって少し寒くなったため、コートは着られており、難なく木についている看板を見ることができた。そこには「陽紅」の名があったんだそうな。
社会人になって就職した小売業で自ら希望した配属先は、なぜか、メンズ雑貨事業部。レディース雑貨や書籍、文具、食品、化粧品などなどいろいろあったにもかかわらず、なぜかメンズ雑貨がよかったのであった。そして、ショップ研修では、希望通りにメンズ雑貨の店舗に配属になり、その数ヶ月間は、店員の服装規定であるズボンを履いてすごしていた。その前も、その後も、わりとロングスカート派であった私としては、それほどズボンばかりを履いていた時期は、物心ついてからは、おそらくない。試作品「へにょらりん for men」の顔、ニヒルな口元と凛々しい眉毛、だいぶ微妙です。
先日、ミユル堂へうかがった際に、雑貨部長さんのお話で、「『ミユルの前足』の猫っぽい色のものはないのですか?」というお客様からの声を聴いたとのこと。そのようなこと(『ミユルの前足』における色的リアリズム)は全く考えていなかったもので、なんだか妙に感心。そして、作ってみると、淡水パールの肉球が映えて、非常によろしい出来栄え。やっぱり、お客様の声は偉大であると実感、なんともかありがたいことです。


久しぶりに作った「衣類ぬいぬい」の犬、こちらは私の古セーターから作ったもの。思い出、というか記憶があふれている衣類を、別のものに作りかえるという作業は、なんだかとても楽しい出来事。型紙もなく、てきとうに作りはじめるので、でき上がるまでどんなかんじになるかわからない、こんにちは〜!というかんじ。いちおう「思い出の衣類をぬいぐるみに!」というのも宣伝しようかと思い、こちらはミユル堂へ見本がてら納品の予定。記憶のあるものを扱うというのは、けっこう大変なことではあるけれど、できあがりのうれしさは格別、こういうところが、やっぱりリメイク派なんだろうなあと実感。
日暮里といえば、谷中に母方のお墓があるため、小さい頃から「お寺と墓参り&上野へのお散歩」という印象であったが、今ではそれに加えて「繊維問屋」である。先日、朝早くからいそいそと出かけ、特価コーナーの山ほどある中から選んで買ってきた布、張りがあってなんだか気に入ってしまって、しかも、はしっこを触ったかんじでは、てっきり綿だと思っていて、でも縫い進むほどに綿ではない気になってくる。だからといって、見積もりも裁断もして、袖も縫ってしまったし、もう後には引き返せない気分。そんなこんなで、とりあえず完成させてしまった男物稽古着。けっこうぱりっとしていてよろしいような気もする。でも綿ではない。とかやっているうちに、お仕立て期限は迫ってくる、また布を探しに行かねば。今度はどこに行こうかなあ。
居間に下りて行ったら、抒情歌CDがリピートされていて、妙にしみじみ聴いてしまった。このあいだまでリピートされていたのは「楽しい ひな祭り」だったのだが、本日は「早春賦」、もう3月も半ば過ぎ。春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず
氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日もきのうも 雪の空
今日もきのうも 雪の空
春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思(おもい)を
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か

恒例行事である、お彼岸のお墓参り。お店の休みは水曜日、来週の水曜日はちょうど春分の日、ということは中日で祝日なのでむちゃくちゃ混むにちがいない、ということで、ちょっとはやめに今週行ってしまうことに。年末に植えたビオラとノースポールが、いつになくきれいに咲き誇っていて、ついでに隣の空き区画にはホトケノザが繁殖している。うちのお墓の植え込みにもホトケノザが混じっていて、もうなんだか、どこもここも花盛り。少し離れたお墓の敷地内に、毎年楽しみにしている早咲きの桜があって、たぶんもう咲き終わっちゃっただろうなあ、と、うわさしていたのですが、案の定、今年はもう終わり。コブシ、沈丁花、梅、桃などなど、車で行って帰ってくる間中、お花見状態、しかもオーナー(父)のガイド付き。


手作り雑貨のミユル堂での連続展示、というか、壁埋めポストカード展示「へにょら片」。来店ついでに、また、増やしてしまいました。いまのところは、「花とへにょらりん」「浜辺でへにょらりん」「ラブラブへにょらりん」がメイン。もとの写真から、カラー版と白黒版を各一枚ずつプリントアウトして展示。この二枚を見比べるのが、なかなか楽しい。白黒の方が、見えていないはずの色がきれいに見えることがある、不思議な気分です。即売可ですので、お早めに。
どんどん花が咲く季節は、花がら摘みが忙しい、指が真っ黒になってしまいますが、咲き終わった花がらをとればとるほど次々と咲いてくれるようで、小さい頃からやっていますが、とても楽しい、お花屋さん気分が満載の作業。そして紅花常盤万作(ベニバナトキワマンサク)に見惚れるへにょらりん。
和裁教室で習ったことを取り入れつつも、手縫いではなくミシンで、そして今まで作ってきたものの要素も取り入れつつ、最近購入した分厚い事典のような和裁の本も参考にしたりして作った、ニューモデルの襦袢。さらしの衿に上から掛けてある掛け衿の長さがけっこう重要であることを、sunajiiに試着してもらって気づく、「雲泥の差」だそうです。







